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【報告】東京学芸大教育講座「3.11後の子育て」参加と発言

遅ればせの報告ですが…
2月1日に学芸大での講座に参加しました。学芸大の1年生を中心に外部からの参加もOKの企画です。

第7回東京学芸大学教育講演会
3.11後の子育て
―松戸市と我孫子市における市民と自治体による取り組みから

 この企画は、学芸大学准教授の大森直樹さんの尽力で実現してきたものです。
 2016年には、大森さんの監修で小金井市と小金井市民の取り組みをまとめた「市民と自治体による放射能測定と学校給食」(明石書店)が出版され、それを踏まえた教育講演会「3・11後の子育てと学校」が原子力資料情報室共同代表の山口幸夫さんを講師に迎えて開催されました。

 今回のお話は、関東子ども健康調査支援基金共同代表である、松戸市の木本さゆりさんと我孫子市の佐藤登志子さんのお二人でした。土壌の放射能汚染の測定を出発点にして子どもの甲状腺検査を実現してきた千葉県でのとりくみについて、それぞれの思いや困難、葛藤の過程などが語られました。

 私も、お二人のお話を受けたコメンテーターの一人としてお時間をいただきました。以下、後日思い出してまとめた発言メモです。

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 こんにちは。私は学芸大学の出身です。1980年入学ですが中退して小金井市内の小さな保育園で働いていた1986年にチェルノブイリ原発事故が起きました。今から32年も前、私の子どもが2歳の時です。はるかかなたのロシアの原発の事故でしたが、輸入食品の放射能汚染を心配して市議会に放射能測定を求める陳情をしたら全員賛成してくれたんです。事故の4年目に市が放射能測定器を購入し、以来、市民が運営し測定してきました。チェルノブイリ事故後に始まり、今も続いている市民による放射能測定は、神奈川県の藤沢市と小金井市の二か所だけだと思います。原発と安全な暮らしは共存しない、望む未来に原発はいらない、という思いで、原発の危険性や原発に代わるエネルギーについて学びながらコツコツと測定活動を続けてきました。

 そして、事故から20年も経ったころに、輸入のブルーベリージャムなどから放射能が検出されるようになったんです。原発事故で放出された放射能のセシウム137は半減期が30年、つまり放射能が半分になるのに30年かかりますから、放射能汚染がなくなるにはさらに何十年もかかります。放射能に汚染されたものを隔離して食品とさせないために、市民測定も含めた監視やチェックが必要なことを再確認させられました。

 その直後に、東日本大震災・福島第一原発の事故が起きたのです。放射能汚染との新しい何十年もの付き合いを始めなければならなくなりました。それも、今度ははるか遠くのロシアではない、日本のすぐ近くの福島での事故です。今日お話をうかがったような必死の活動が、全国で取り組まれました。小金井ではすでに測定器がありましたから、市民からの測定希望が殺到し、測定回数を増やして緊急対応しました。そして、今、そのころに図った食品の放射性ヨウ素のデータがとても貴重なものだとわかり、東大の研究室で解析・論文化が始まっています。

 素人の普通の市民が真摯に目の前の課題に向き合うことが、着実な力になるんです。

 今日のこの場に参加して、3.11後の子育てに真摯に向き合って取り組んできた、みなさんの親の世代のお二人のお話を聞けたことはみなさんにとって、とても貴重な経験になると思います。チェルノブイリ後の子育てに取り組んだ世代である私の経験もお伝えする機会をいただいて、ありがとうございました。

漢人明子(小金井市放射能測定器運営連絡協議会)